小泉 純一郎(こいずみ じゅんいちろう、1942年(昭和17年)1月8日 – )は、日本の元政治家。国際公共政策研究センター顧問。

小泉 純一郎(こいずみ じゅんいちろう、1942年(昭和17年)1月8日 – )は、日本の元政治家。国際公共政策研究センター顧問。

衆議院議員、厚生大臣(第69・70・81代)、郵政大臣(第55代)、内閣総理大臣(第87・88・89代)などを歴任した。内閣総理大臣の在任期間は1,980日で、第二次世界大戦後の内閣総理大臣としては佐藤栄作、吉田茂に次ぐ第3位。

日本の政治家
小泉 純一郎
こいずみ じゅんいちろう

生年月日- 1942年1月8日(69歳)
出生地- 神奈川県横須賀市
出身校- 慶應義塾大学経済学部卒業
前職- 衆議院議員
現職- 国際公共政策研究センター顧問
所属政党- 自由民主党(清和政策研究会→無派閥)
称号- 経済学士(慶應義塾大学・1967年)
親族- 小泉又次郎(祖父)
小泉純也(父)
井料克己(従兄)
小泉孝太郎(長男)
小泉進次郎(次男)

第89代 内閣総理大臣
内閣 第3次小泉内閣
第3次小泉改造内閣
任期 2005年9月21日 – 2006年9月26日
天皇 今上天皇(明仁)

第88代 内閣総理大臣
内閣 第2次小泉内閣
第2次小泉改造内閣
任期 2003年11月19日 – 2005年9月21日
天皇 今上天皇(明仁)

第87代 内閣総理大臣
内閣 第1次小泉内閣
第1次小泉第1次改造内閣
第1次小泉第2次改造内閣
任期 2001年4月26日 – 2003年11月19日
天皇 今上天皇(明仁)

第38代 農林水産大臣
内閣 第2次小泉改造内閣
任期 2005年8月8日 – 2005年8月11日

第132代 外務大臣
内閣 第1次小泉内閣
任期 2002年1月30日 – 2002年2月1日

その他の職歴
第81代 厚生大臣
(1996年11月7日 -1998年7月30日)
第55代 郵政大臣
(1992年12月12日 -1993年7月20日)
第70代 厚生大臣
(1989年6月3日 -1989年8月10日)
第69代 厚生大臣
(1988年12月27日 -1989年6月3日)
衆議院議員
(1972年 -2009年7月21日)

結婚と離婚 [編集]1978年にエスエス製薬の元会長泰道照山の孫宮本佳代子と結婚した。この結婚に佳代子の父親的な存在だった泰道照山は反対だったという。宮本家の血縁者は「結局、泰道家とは絶縁寸前までいった。“出て行くならその身体一つでいけ”という具合。それでも小泉さんから“何の心配もいらない。僕たちの結婚には関係ない。白紙のままで来てほしい。”と言われ、その言葉を信じて嫁に行った」と述べている。

3人の子供をもうけたが、1982年に離婚した。関係者の話によれば、「小泉の面倒は姉で秘書をしている信子がみており、系図をみてもわかるように周囲は姉弟の身内で固めている。離婚の理由は定かではないが、よほど結婚にはこりたようだ」という。

信念・容姿 [編集]身長169cm、体重60kg。前任の森喜朗(175cm)よりも低いが、肥満型の森と比較して痩せ型のためか森よりも高身長に思われていた様である(長男の小泉孝太郎は177cm、次男の小泉進次郎は170cm)。21世紀に総理大臣を務めた人物では最も小柄である(鳩山由紀夫は178cm、森喜朗・安倍晋三・麻生太郎・菅直人は175cm、野田佳彦は173cm、福田康夫は171cm)。
血液型A。
小泉は“骨太の方針”をまとめるさなか、「ぼくは高杉晋作の生き方を見習おうと思っている」と述べている。
人と会話するとき身振り手振りを交えながら一言一言を短く簡潔に言いたいことをわかりやすく表現する喋り方が特徴。
郵政民営化や道路公団民営化などに反対する議員・団体・勢力を「抵抗勢力」と呼んだ。
国会演説や記者会見などで、国民に対して自助と自律の精神を呼びかけた。
愛読書は『ああ同期の桜』(海軍飛行予備学生第14期会編)。
国会では「極東国際軍事裁判を受諾し、A級戦犯は戦争犯罪人と認識している」と答弁している。
2006年9月の自民党総裁任期満了をもって総理及び総裁の両役職を辞める旨を会見などで早くから発言し、任期満了までに時間がある時点からポスト小泉人事が話題となっていた。小泉自身は総理・総裁辞任後は院政を敷くつもりはないと発言し、総裁選直前には安倍晋三支持を明確にした。
髪型がライオンのたてがみに似ているとして、ライオンのイメージキャラクターが作られた。なお、2005年冬に米国俳優のトム・ハンクスと米国で対面した際、トム・ハンクス本人から「今、小泉総理のヘアースタイルが、米国ですごく流行っている」と言われ、小泉は照れ笑いに終始した。
人からの贈り物は、ほとんど受け取らない。バレンタインのチョコレートも送り返している。
政治家として結婚式の仲人もした事があるが、式の席上で仲人の新郎新婦紹介の際、「結婚はそんな甘いものじゃあない!」と発言し、列席者全員を驚かせたことがある。
米国俳優のリチャード・ギアと面会した際、「ジャパニーズ・リチャード・ギア」と紹介された。
2008年の引退表明は驚きを与えたが、以前から引退時期について問われると、父親(小泉純也)の死んだ65歳までと度々発言していた。

家族 親族
祖父・又次郎祖父・又次郎(とび職人、請負師、小学校代用教員、新聞記者、政治家)
1865年(慶応元年)5月生~1951年(昭和26年)9月没
父はとび職人・請負師の小泉由兵衛。『小泉又次郎伝』によると、又次郎の少年時代は詳細な記録もなく不明な点も多いが、“気っ風(ぷ)と腕っ節、根性がものをいう商売”、“意地と我慢の商売”といわれる家業で、又次郎はその血を引き、そのような家風で育った。
普選運動の闘士として庶民人気が高かった
父・純也(政治家)

父・純也と、純一郎1904年(明治37年)1月生~1969年(昭和44年)8月没
純也は鹿児島の出身で、生家の鮫島家が事業に失敗したため上京し、苦学しながら政治の道を志した。芳江と知り合った頃は、又次郎が幹事長をつとめる立憲民政党の事務職員だった。又次郎のところに出入するうち二人は恋におち、東京・青山の同潤会アパートで同棲をはじめた[35]。又次郎は『帰って来い』と、新聞の尋ね人欄に広告までだしている[36]。純也と芳江の結婚について、又次郎の養女だった近藤壽子は「本当に大変だったんです。なにしろ駆け落ち同然の結婚でしたからね。芳江さんはハンサム好みで、ハンサムな男性を見るとイチコロなんです。又次郎さんはもっと立派なところから婿を欲しいと思っていたんでしょう、すごく反対して怒ってました。」と述べている[37]
在日朝鮮人の北朝鮮送還事業を主導した[38]。
母・芳江(父は小泉又次郎、母は石川ハツ)
2001年(平成13年)10月没
又次郎は、正妻ナオとの間に子がなかったので、石川ハツ(富山県の滑川出身)が芳江(純一郎の母)を産んだ。又次郎によると「誰の腹でもいいから、自分の子供はもっておくものだね」という。石川ハツはその後、山口忠蔵という男と結婚し、3人の子を産んだ。石川ハツが結婚した山口忠蔵はおみこしなどを造る宮大工だった。山口忠蔵にも入れ墨があった。佐野眞一によると「山口忠蔵は、仕事の性質や入れ墨を彫っていたことなどから考えて又次郎の配下の者、もしくは弟分だったと思われる。だとすると、又次郎はハツに一人娘の芳江を産ませたのち、遠慮も何もいらない立場の山口忠蔵にハツを“お下げ渡し”したのではないか。又次郎と山口はいわば “入れ墨兄弟” の関係ではなかったか?」という。
姉・信子(政策秘書)、ほかに2人
弟・正也(私設秘書)
妻は東京都知事石原慎太郎の妻典子の従兄弟の娘
前妻・佳代子(エスエス製薬元会長泰道照山の孫娘、泰道三八の姪)
長男・孝太郎(俳優、タレント)
1978年(昭和53年)7月生~
二男・進次郎(政治家)

二男・進次郎1981年(昭和56年)4月生~
このほか、母佳代子と同じ宮本姓を名乗っている三男がいる。佐野眞一 著『小泉政権 ― 非情の歳月』191-192頁によれば、「妊娠六ヶ月で離婚された佳代子が一人で三男を産むと、小泉側は親権を主張し、家裁での調停に持ち込まれた。その結果ようやく佳代子が三男を引き取ることができた。三男が「父親と二人きりで会いたい」と涙ながらに小泉事務所に電話で訴えてきたことがあったが、その話を秘書官の飯島から伝え聞いた信子は「血はつながっているけど、親子関係はない」と冷たく言い放った」という。

いとこ・井料克己(いりょう かつみ、政治家・元横須賀市議会議長)
井料の母親の弟が純也である。
義兄・豊島格(官僚・元資源エネルギー庁長官)
大叔父・小泉岩吉
小泉家の苦しい家計を支えたのは、又次郎が家業を譲った弟の岩吉だった。兄・又次郎同様、背中にみごとな入れ墨を入れた岩吉は、又次郎の度重なる無心にもいやな顔ひとつ見せず、必要な金を必ず用立てたという。

系譜
小泉家(神奈川県横浜市金沢区、横須賀市)
祖父小泉又次郎は慶応元年(1865年)、武蔵国久良岐郡六浦荘村大道(現在の神奈川県横浜市金沢区大道)にとび職人・由兵衛の二男として生まれた。又次郎が生まれた当時、鎌倉街道に面したこの地は、戸数わずか三十二戸の小さな村であった。父・小泉由兵衛は村の代々の鳶職だったが、のちに軍港横須賀に進出して、海軍に労働者を送り込む軍港随一の請負師になった。

入れ墨を施した江戸時代の人、1870年当時の横須賀では沖仲仕の手配師として目兼の大親分と小泉組が縄張りを競い合い、博徒たちの賑やかな出入りが繰り返されていたという。
1884年(明治17年)に海軍鎮守府が置かれた横須賀は、日清戦争から日露戦争にかけて軍港として急速に発展したが、ここでも、軍艦に砲弾や燃料の石炭、食糧などを積み込む仲仕の組織が発達し、これを仕切る仲仕請負からやくざ組織が生まれていった[51]。当時、横須賀でこの仲仕の仕切りでしのぎを削ったのが、博徒の目兼組と鳶の小泉組であった[51]。この縄張り争いは、近世以来の古い型の博徒である目兼組を抑えて、新興の小泉組が制していく。そして、この小泉組を率いていた鳶の親方・小泉由兵衛が跡目を継がせた息子の又次郎がこの帰趨(きすう)を決定的にし、小泉組は軍港のやくざとして一大組織を築くことになった[51]。この又次郎こそが、のちの首相・小泉純一郎の祖父であった[51]。この小泉組も、吉田磯吉と同じ時期、同じ環境から生まれてきた近代ヤクザのひとつにほかならない。
又次郎は若い頃、軍人になることを諦めとび職人になることを決意した証に、全身に入れ墨を彫っていた。明治41年(1908年)衆議院議員に当選、浜口雄幸内閣、第2次若槻禮次郎内閣で逓信大臣を務めた。
鮫島家(鹿児島県南さつま市、旧加世田市)
父小泉純也は鹿児島県川辺郡東加世田村(のち加世田市、現南さつま市)の漁業鮫島家に生まれた。父親の彌三左衛門(やざえもん)は事業に失敗し、地元の鰹節(かつおぶし)工場に雇われていたが、純也が11歳の時に亡くなった。母親が三男六女を育てたが、家が貧(まづ)しく純也のきょうだいのうち3人が亡くなっている[52]。純也は昭和12年(1937年)衆議院議員に当選、第3次池田勇人内閣、第1次佐藤榮作内閣で防衛庁長官を務めた。
小泉家について、別冊宝島『知られざる日本の特権階級』38頁によると、「3代続く政治家の家系といってもそれは“名門”とまではいえず、小泉純一郎も、福田赳夫の書生をするなどしていた時代には、まさか康夫より早く総理に就任するなどとは思ってもみなかったであろう。…総理を出してなお、小泉家を“名家”とはいいがたい。これは他の一族とは異なる小泉家の持ち味なのだろう。」という。

神一行著『閨閥 改訂新版 特権階級の盛衰の系譜』236 – 237頁によると、「さてその小泉の閨閥であるが名門といわれるほどのものではない。むしろ小泉の性格は三代続く政治家家系の血筋とみてよい。」という。

    
            ┏━泰道三八
      泰道照山━━┫
            ┗━宮本志計子━━━佳代子
                       ┃
                       ┣━━━━━┳━小泉孝太郎
                       ┃     ┃
             (鮫島)    ┏━小泉純一郎 ┣━小泉進次郎
              小泉純也   ┃       ┃
               ┃     ┃       ┗━三男(宮本氏)
               ┃     ┣女
               ┃     ┃
               ┃     ┃
               ┣━━━━━╋女
      (綾部)     ┃     ┃┃
        ナオ     ┃     ┃豊島格
         ┃     ┃     ┃
      ┏小泉又次郎   ┃     ┣信子
      ┃  *━━━━芳江     ┃
      ┃ 石川ハツ         ┣女
小泉由兵衛━┫  ┃           ┃
      ┃ 山口忠蔵         ┃
      ┃              ┗━小泉正也          
      ┗小泉岩吉             ┃
                        ┃
     ┏━石田重蔵━━━━石田吉之輔━━━美枝子
     ┃
     ┗━石田光治━━━━典子
               ┣━━━━━┳━石原伸晃
             ┏━石原慎太郎 ┣━石原良純
             ┗━石原裕次郎 ┣━石原宏高
                     ┗━石原延啓

《小泉 純一郎(こいずみ じゅんいちろう、1942年(昭和17年)1月8日 – )は、日本の元政治家。国際公共政策研究センター顧問。》有2个想法

  1. 厚生労働大臣
    日本の厚生労働大臣について記述しています。世界各国の健康・衛生を担当する大臣については「厚生大臣」を、世界各国の労働を担当する大臣については「労働大臣」をご覧ください。

    厚生労働大臣

    厚生労働省が設置される
    中央合同庁舎第5号館

    現職者
    小宮山洋子
    就任日 2011年9月2日
    任命者 内閣総理大臣
    初代 坂口力
    創設 2001年1月6日
    ウェブサイト 厚生労働省

    厚生労働大臣(こうせいろうどうだいじん)は、日本の厚生労働省を所管する国務大臣である。

    目次
    概要
    歴代大臣
    厚生労働大臣表彰
    関連項目
    外部リンク

    概要
    社会福祉と労働問題を担当する。

    2001年(平成13年)1月6日に実施された中央省庁再編により厚生大臣および労働大臣の職務を包括するものとして設置された。

    現在の厚生労働大臣は小宮山洋子(野田内閣)。厚生省と労働省が再編され、厚生労働省に統合されてからは、初の女性大臣になる。(旧厚生省では第35代厚生大臣として中山マサが初の女性大臣として務めた。)

    歴代大臣
    辞令のある再任は個別の代を記載し、辞令のない留任は記載しない。
    臨時代理は、大臣空位の場合のみ記載し、海外出張時等の一時不在代理は記載しない。
    兼任は、他の大臣が同時に務めることをいい、臨時代理とは異なる。

    代 氏名 内閣 就任日 出身党派
    1 坂口力 第2次森改造内閣
    (中央省庁再編後) 2001年(平成13年)1月6日 公明党
    2 第1次小泉内閣 2001年(平成13年)4月26日
    第1次小泉第1次改造内閣 2002年(平成14年)9月30日
    第1次小泉第2次改造内閣 2003年(平成15年)9月22日
    3 第2次小泉内閣 2003年(平成15年)11月19日
    4 尾辻秀久 第2次小泉改造内閣 2004年(平成16年)9月27日 自由民主党(参議院)
    5 第3次小泉内閣 2005年(平成17年)9月21日
    6 川崎二郎 第3次小泉改造内閣 2005年(平成17年)10月31日 自由民主党
    7 柳澤伯夫 安倍内閣 2006年(平成18年)9月26日 自由民主党
    8 舛添要一 安倍改造内閣 2007年(平成19年)8月27日 自由民主党(参議院)
    9 福田康夫内閣
    福田康夫改造内閣 2007年(平成19年)9月26日
    10 麻生内閣 2008年(平成20年)9月24日
    11 長妻昭 鳩山由紀夫内閣 2009年(平成21年)9月16日 民主党
    12 菅内閣 2010年(平成22年)6月8日
    13 細川律夫 菅第1次改造内閣
    菅第2次改造内閣 2010年(平成22年)9月17日 民主党
    14 小宮山洋子 野田内閣 2011年(平成23年)9月2日 民主党

    厚生労働大臣表彰
    功労章
    民生委員・児童委員として永年の功績があった場合、民生委員及び児童委員表彰規則により功労章が授与される。
    卓越技能章
    厚生労働省では卓越した伝統技能を有する職人を表彰するため、記章とともに表彰状を授与している。
    感謝状
    日本赤十字社など認可法人・公益法人に対する高額な寄付などがあった場合などに贈呈される。

    関連項目
    厚生労働省
    厚生省 ‐ 厚生大臣
    労働省 ‐ 労働大臣
    卓越技能章
    外部リンク [編集]厚生労働省:幹部名簿
    [隠す]表・話・編・歴 歴代の厚生労働大臣(厚生大臣・労働大臣)

    厚生大臣 木戸幸一 – 広瀬久忠 – 小原直 – 秋田清 – 吉田茂 – 安井英二 – 金光庸夫 – 小泉親彦 – 広瀬久忠 – 相川勝六 – 岡田忠彦 – 松村謙三 – 芦田均 – 河合良成 – 吉田茂 – 片山哲 – 一松定吉 – 竹田儀一 – 吉田茂 – 林譲治 – 黒川武雄 – 橋本龍伍 – 吉武恵市 – 山縣勝見 – 草葉隆圓 – 鶴見祐輔 – 川崎秀二 – 小林英三 – 石橋湛山 – 神田博 – 堀木鎌三 – 橋本龍伍 – 坂田道太 – 渡邊良夫 – 中山マサ – 古井喜実 – 灘尾弘吉 – 西村英一 – 小林武治 – 神田博 – 鈴木善幸 – 坊秀男 – 園田直 – 斎藤昇 – 内田常雄 – 斎藤昇 – 塩見俊二 – 斎藤邦吉 – 福永健司 – 田中正巳 – 早川崇 – 渡辺美智雄 – 小沢辰男 – 橋本龍太郎 – 野呂恭一 – 斎藤邦吉 – 園田直 – 村山達雄 – 森下元晴 – 林義郎 – 渡部恒三 – 増岡博之 – 今井勇 – 斎藤十朗 – 藤本孝雄 – 小泉純一郎 – 戸井田三郎 – 津島雄二 – 下条進一郎 – 山下徳夫 – 丹羽雄哉 – 大内啓伍 – 羽田孜 – 大内啓伍 – 井出正一 – 森井忠良 – 菅直人 – 小泉純一郎 – 宮下創平 – 丹羽雄哉 – 津島雄二 – 坂口力

    労働大臣 米窪満亮 – 加藤勘十 – 吉田茂 – 増田甲子七 – 鈴木正文 – 保利茂 – 吉武恵市 – 戸塚九一郎 – 小坂善太郎 – 千葉三郎 – 西田隆男 – 倉石忠雄 – 石橋湛山 – 松浦周太郎 – 石田博英 – 倉石忠雄 – 松野頼三 – 石田博英 – 福永健司 – 大橋武夫 – 石田博英 – 小平久雄 – 山手満男 – 早川崇 – 小川平二 – 原健三郎 – 野原正勝 – 原健三郎 – 塚原俊郎 – 田村元 – 加藤常太郎 – 長谷川峻 – 大久保武雄 – 長谷川峻 – 浦野幸男 – 石田博英 – 藤井勝志 – 栗原祐幸 – 藤波孝生 – 藤尾正行 – 初村滝一郎 – 大野明 – 坂本三十次 – 山口敏夫 – 林迶 – 平井卓志 – 中村太郎 – 丹羽兵助 – 堀内光雄 – 福島譲二 – 塚原俊平 – 小里貞利 – 近藤鉄雄 – 村上正邦 – 坂口力 – 羽田孜 – 鳩山邦夫 – 浜本万三 – 青木薪次 – 永井孝信 – 岡野裕 – 伊吹文明 – 甘利明 – 牧野隆守 – 吉川芳男 – 坂口力

    厚生労働大臣 坂口力 – 尾辻秀久 – 川崎二郎 – 柳澤伯夫 – 舛添要一 – 長妻昭 – 細川律夫 – 小宮山洋子

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    [+] 日本の医療機関 (厚生労働省) (1サブカテゴリ、1ページ)
    さ[+] 財団法人 (厚労省所管) (1サブカテゴリ、58ページ) し[×] 社団法人 (厚労省所管) (90ページ)
    ち[×] 地方厚生局 (9ページ)
    と[+] 独立行政法人 (厚労省所管) (2サブカテゴリ、14ページ) と の続き[×] 都道府県労働局 (49ページ)
    れ[+] 厚生労働省の歴史 (2サブカテゴリ、8ページ)

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    厚生労働大臣
    厚生労働省
    い遺骨収集事業
    医師
    医政局
    医道審議会
    医薬食品局
    医薬品新販売制度の円滑施行に関する検討会
    医薬品等適正広告基準
    お卸売販売業
    か介護支援ボランティア制度
    介輔
    看護師
    看護週間
    き義肢装具士
    救急救命士
    きゅう師
    教誨
    矯正施設
    勤労者福祉施設
    くグリーンピア
    け検疫官
    検疫所
    健康局
    健康保険組合連合会
    言語聴覚士
    建設業労働災害防止協会
    こ後期高齢者医療広域連合
    公共職業安定所
    鉱業労働災害防止協会
    厚生労働技官
    厚生労働省設置法
    厚生労働事務次官
    厚生労働審議官
    厚生労働大臣政務官
    厚生労働副大臣
    港湾貨物運送事業労働災害防止協会
    国民年金基金連合会
    国立知的障害児施設
    国立医薬品食品衛生研究所
    国立医療・病院管理研究所
    国立看護大学校
    国立感染症研究所
    国立公衆衛生院
    国立光明寮
    国立社会保障・人口問題研究所
    国立障害者リハビリテーションセンター学院
    国立ハンセン病療養所
    国立保健医療科学院
    こ の続き国立保養所
    子ども予防接種週間
    雇用均等・児童家庭局
    雇用保険事業
    ゴールドプラン (厚生労働省)
    さ作業療法士
    し歯科医師
    歯科衛生士
    歯科技工士
    指定保育士養成施設
    視能訓練士
    社会保険診療報酬支払基金
    社会保険労務士
    社会保障
    社会・援護局
    若年者就職基礎能力修得支援事業
    柔道整復師
    障害者の日
    厚生労働省省内事業仕分け
    昭和館
    職業安定局
    職業能力開発局
    職場復帰支援の手引き
    助産師
    女性週間
    診療放射線技師
    す水道週間
    せ生活衛生同業組合
    生活衛生同業組合連合会
    生活衛生同業小組合
    生活習慣病予防週間
    全国飲食業生活衛生同業組合連合会
    全国喫茶飲食生活衛生同業組合連合会
    全国クリーニング生活衛生同業組合連合会
    全国健康保険協会
    全国興行生活衛生同業組合連合会
    全国公衆浴場業生活衛生同業組合連合会
    全国社交飲食業生活衛生同業組合連合会
    全国食鳥肉販売業生活衛生同業組合連合会
    全国食肉生活衛生同業組合連合会
    全国すし商生活衛生同業組合連合会
    全国中華料理生活衛生同業組合連合会
    全国氷雪販売業生活衛生同業組合連合会
    全国麺類生活衛生同業組合連合会
    全国理容生活衛生同業組合連合会
    全国料理業生活衛生同業組合連合会
    全国旅館ホテル生活衛生同業組合連合会
    全日本美容業生活衛生同業組合連合会
    船舶に乗り込む衛生管理者
    た厚生労働大臣
    厚生労働省大臣官房
    対中国輸出水産食品
    ち地域若者サポートステーション
    地方厚生局
    地方社会保険事務局
    中央児童福祉審議会
    中央社会保険医療協議会
    中央職業能力開発協会
    中央労働委員会
    調理師
    てデュアルシステム
    と登録販売者
    都道府県労働局
    なナショナル・ミニマム
    に21世紀における国民健康づくり運動
    日本介護支援専門員協会
    日本義肢装具士協会
    日本年金機構
    日本臨床腫瘍研究グループ
    日本ワーキング・ホリデー協会
    ね年金局
    は発破技士
    歯の衛生週間
    はり師
    ふフォークリフト運転者
    ふぐ調理師
    ほ保険局
    保健師
    ま麻薬・覚せい剤乱用防止運動
    麻薬取締員
    麻薬取締官
    麻薬取締部
    や薬剤師
    よ40歳からの健康週間
    り理学療法士
    陸上貨物運送事業労働災害防止協会
    林業・木材製造業労働災害防止協会
    臨床検査技師
    臨床工学技士
    ろ老健局
    労働基準監督官
    労働基準監督署
    労働基準局
    労働政策審議会
    わ若者人間力強化プロジェクト
    WAM NET
    厚Template:厚生労働省

    日本灾后重建支援商-周口境外就业服务公司*海外(日本)女性雇主,雇主拓展部陈部长,手机:+0086-13901623260;13818083267;陈氏家族邮箱: george13901623260@163.com ; chensihong1961@126. com ;出国打工,日本打工,日本做工,日本就业;海外打工,海外就业;出国劳务;
    日本の災害後の復興支援のプロバイダ – 周口海外雇用サービス*海外(日本)女性の雇用主、雇用開発部大臣陳、携帯電話:0086?13901623260; 13818083267、陳ファミリーメール:george13901623260@163.com ; chensihong1961@.126.COM、海外で働く日本で就労するために、日本、日本の雇用で働く、海外の仕事、海外雇用、海外のサービス; 日本の災害後の復興支援のプロバイダ – 周口海外雇用サービス*海外女性の雇用主、雇用開発部大臣陳、携帯電話:0086?13901623260; 13818083267、陳ファミリーメール:george13901623260@163.com ; 。chensihong1961@126.COM、海外の日本、日本の雇用で働く、仕事を日本で就労するために、海外の仕事、海外雇用、海外のサービス;

  2. 小泉 純一郎(こいずみ じゅんいちろう、1942年(昭和17年)1月8日 – )は、日本の元政治家。国際公共政策研究センター顧問。

    衆議院議員、厚生大臣(第69・70・81代)、郵政大臣(第55代)、内閣総理大臣(第87・88・89代)などを歴任した。内閣総理大臣の在任期間は1,980日で、第二次世界大戦後の内閣総理大臣としては佐藤栄作、吉田茂に次ぐ第3位。

    日本の政治家
    小泉 純一郎
    こいずみ じゅんいちろう

    生年月日- 1942年1月8日(69歳)
    出生地- 神奈川県横須賀市
    出身校- 慶應義塾大学経済学部卒業
    前職- 衆議院議員
    現職- 国際公共政策研究センター顧問
    所属政党- 自由民主党(清和政策研究会→無派閥)
    称号- 経済学士(慶應義塾大学・1967年)
    親族- 小泉又次郎(祖父)
    小泉純也(父)
    井料克己(従兄)
    小泉孝太郎(長男)
    小泉進次郎(次男)

    第89代 内閣総理大臣
    内閣 第3次小泉内閣
    第3次小泉改造内閣
    任期 2005年9月21日 – 2006年9月26日
    天皇 今上天皇(明仁)

    第88代 内閣総理大臣
    内閣 第2次小泉内閣
    第2次小泉改造内閣
    任期 2003年11月19日 – 2005年9月21日
    天皇 今上天皇(明仁)

    第87代 内閣総理大臣
    内閣 第1次小泉内閣
    第1次小泉第1次改造内閣
    第1次小泉第2次改造内閣
    任期 2001年4月26日 – 2003年11月19日
    天皇 今上天皇(明仁)

    第38代 農林水産大臣
    内閣 第2次小泉改造内閣
    任期 2005年8月8日 – 2005年8月11日

    第132代 外務大臣
    内閣 第1次小泉内閣
    任期 2002年1月30日 – 2002年2月1日

    その他の職歴
    第81代 厚生大臣
    (1996年11月7日 -1998年7月30日)
    第55代 郵政大臣
    (1992年12月12日 -1993年7月20日)
    第70代 厚生大臣
    (1989年6月3日 -1989年8月10日)
    第69代 厚生大臣
    (1988年12月27日 -1989年6月3日)
    衆議院議員
    (1972年 -2009年7月21日)

    結婚と離婚 [編集]1978年にエスエス製薬の元会長泰道照山の孫宮本佳代子と結婚した。この結婚に佳代子の父親的な存在だった泰道照山は反対だったという。宮本家の血縁者は「結局、泰道家とは絶縁寸前までいった。“出て行くならその身体一つでいけ”という具合。それでも小泉さんから“何の心配もいらない。僕たちの結婚には関係ない。白紙のままで来てほしい。”と言われ、その言葉を信じて嫁に行った」と述べている。

    3人の子供をもうけたが、1982年に離婚した。関係者の話によれば、「小泉の面倒は姉で秘書をしている信子がみており、系図をみてもわかるように周囲は姉弟の身内で固めている。離婚の理由は定かではないが、よほど結婚にはこりたようだ」という。

    信念・容姿 [編集]身長169cm、体重60kg。前任の森喜朗(175cm)よりも低いが、肥満型の森と比較して痩せ型のためか森よりも高身長に思われていた様である(長男の小泉孝太郎は177cm、次男の小泉進次郎は170cm)。21世紀に総理大臣を務めた人物では最も小柄である(鳩山由紀夫は178cm、森喜朗・安倍晋三・麻生太郎・菅直人は175cm、野田佳彦は173cm、福田康夫は171cm)。
    血液型A。
    小泉は“骨太の方針”をまとめるさなか、「ぼくは高杉晋作の生き方を見習おうと思っている」と述べている。
    人と会話するとき身振り手振りを交えながら一言一言を短く簡潔に言いたいことをわかりやすく表現する喋り方が特徴。
    郵政民営化や道路公団民営化などに反対する議員・団体・勢力を「抵抗勢力」と呼んだ。
    国会演説や記者会見などで、国民に対して自助と自律の精神を呼びかけた。
    愛読書は『ああ同期の桜』(海軍飛行予備学生第14期会編)。
    国会では「極東国際軍事裁判を受諾し、A級戦犯は戦争犯罪人と認識している」と答弁している。
    2006年9月の自民党総裁任期満了をもって総理及び総裁の両役職を辞める旨を会見などで早くから発言し、任期満了までに時間がある時点からポスト小泉人事が話題となっていた。小泉自身は総理・総裁辞任後は院政を敷くつもりはないと発言し、総裁選直前には安倍晋三支持を明確にした。
    髪型がライオンのたてがみに似ているとして、ライオンのイメージキャラクターが作られた。なお、2005年冬に米国俳優のトム・ハンクスと米国で対面した際、トム・ハンクス本人から「今、小泉総理のヘアースタイルが、米国ですごく流行っている」と言われ、小泉は照れ笑いに終始した。
    人からの贈り物は、ほとんど受け取らない。バレンタインのチョコレートも送り返している。
    政治家として結婚式の仲人もした事があるが、式の席上で仲人の新郎新婦紹介の際、「結婚はそんな甘いものじゃあない!」と発言し、列席者全員を驚かせたことがある。
    米国俳優のリチャード・ギアと面会した際、「ジャパニーズ・リチャード・ギア」と紹介された。
    2008年の引退表明は驚きを与えたが、以前から引退時期について問われると、父親(小泉純也)の死んだ65歳までと度々発言していた。

    家族 親族
    祖父・又次郎祖父・又次郎(とび職人、請負師、小学校代用教員、新聞記者、政治家)
    1865年(慶応元年)5月生~1951年(昭和26年)9月没
    父はとび職人・請負師の小泉由兵衛。『小泉又次郎伝』によると、又次郎の少年時代は詳細な記録もなく不明な点も多いが、“気っ風(ぷ)と腕っ節、根性がものをいう商売”、“意地と我慢の商売”といわれる家業で、又次郎はその血を引き、そのような家風で育った。
    普選運動の闘士として庶民人気が高かった
    父・純也(政治家)

    父・純也と、純一郎1904年(明治37年)1月生~1969年(昭和44年)8月没
    純也は鹿児島の出身で、生家の鮫島家が事業に失敗したため上京し、苦学しながら政治の道を志した。芳江と知り合った頃は、又次郎が幹事長をつとめる立憲民政党の事務職員だった。又次郎のところに出入するうち二人は恋におち、東京・青山の同潤会アパートで同棲をはじめた[35]。又次郎は『帰って来い』と、新聞の尋ね人欄に広告までだしている[36]。純也と芳江の結婚について、又次郎の養女だった近藤壽子は「本当に大変だったんです。なにしろ駆け落ち同然の結婚でしたからね。芳江さんはハンサム好みで、ハンサムな男性を見るとイチコロなんです。又次郎さんはもっと立派なところから婿を欲しいと思っていたんでしょう、すごく反対して怒ってました。」と述べている[37]
    在日朝鮮人の北朝鮮送還事業を主導した[38]。
    母・芳江(父は小泉又次郎、母は石川ハツ)
    2001年(平成13年)10月没
    又次郎は、正妻ナオとの間に子がなかったので、石川ハツ(富山県の滑川出身)が芳江(純一郎の母)を産んだ。又次郎によると「誰の腹でもいいから、自分の子供はもっておくものだね」という。石川ハツはその後、山口忠蔵という男と結婚し、3人の子を産んだ。石川ハツが結婚した山口忠蔵はおみこしなどを造る宮大工だった。山口忠蔵にも入れ墨があった。佐野眞一によると「山口忠蔵は、仕事の性質や入れ墨を彫っていたことなどから考えて又次郎の配下の者、もしくは弟分だったと思われる。だとすると、又次郎はハツに一人娘の芳江を産ませたのち、遠慮も何もいらない立場の山口忠蔵にハツを“お下げ渡し”したのではないか。又次郎と山口はいわば “入れ墨兄弟” の関係ではなかったか?」という。
    姉・信子(政策秘書)、ほかに2人
    弟・正也(私設秘書)
    妻は東京都知事石原慎太郎の妻典子の従兄弟の娘
    前妻・佳代子(エスエス製薬元会長泰道照山の孫娘、泰道三八の姪)
    長男・孝太郎(俳優、タレント)
    1978年(昭和53年)7月生~
    二男・進次郎(政治家)

    二男・進次郎1981年(昭和56年)4月生~
    このほか、母佳代子と同じ宮本姓を名乗っている三男がいる。佐野眞一 著『小泉政権 ― 非情の歳月』191-192頁によれば、「妊娠六ヶ月で離婚された佳代子が一人で三男を産むと、小泉側は親権を主張し、家裁での調停に持ち込まれた。その結果ようやく佳代子が三男を引き取ることができた。三男が「父親と二人きりで会いたい」と涙ながらに小泉事務所に電話で訴えてきたことがあったが、その話を秘書官の飯島から伝え聞いた信子は「血はつながっているけど、親子関係はない」と冷たく言い放った」という。

    いとこ・井料克己(いりょう かつみ、政治家・元横須賀市議会議長)
    井料の母親の弟が純也である。
    義兄・豊島格(官僚・元資源エネルギー庁長官)
    大叔父・小泉岩吉
    小泉家の苦しい家計を支えたのは、又次郎が家業を譲った弟の岩吉だった。兄・又次郎同様、背中にみごとな入れ墨を入れた岩吉は、又次郎の度重なる無心にもいやな顔ひとつ見せず、必要な金を必ず用立てたという。

    系譜
    小泉家(神奈川県横浜市金沢区、横須賀市)
    祖父小泉又次郎は慶応元年(1865年)、武蔵国久良岐郡六浦荘村大道(現在の神奈川県横浜市金沢区大道)にとび職人・由兵衛の二男として生まれた。又次郎が生まれた当時、鎌倉街道に面したこの地は、戸数わずか三十二戸の小さな村であった。父・小泉由兵衛は村の代々の鳶職だったが、のちに軍港横須賀に進出して、海軍に労働者を送り込む軍港随一の請負師になった。

    入れ墨を施した江戸時代の人、1870年当時の横須賀では沖仲仕の手配師として目兼の大親分と小泉組が縄張りを競い合い、博徒たちの賑やかな出入りが繰り返されていたという。
    1884年(明治17年)に海軍鎮守府が置かれた横須賀は、日清戦争から日露戦争にかけて軍港として急速に発展したが、ここでも、軍艦に砲弾や燃料の石炭、食糧などを積み込む仲仕の組織が発達し、これを仕切る仲仕請負からやくざ組織が生まれていった[51]。当時、横須賀でこの仲仕の仕切りでしのぎを削ったのが、博徒の目兼組と鳶の小泉組であった[51]。この縄張り争いは、近世以来の古い型の博徒である目兼組を抑えて、新興の小泉組が制していく。そして、この小泉組を率いていた鳶の親方・小泉由兵衛が跡目を継がせた息子の又次郎がこの帰趨(きすう)を決定的にし、小泉組は軍港のやくざとして一大組織を築くことになった[51]。この又次郎こそが、のちの首相・小泉純一郎の祖父であった[51]。この小泉組も、吉田磯吉と同じ時期、同じ環境から生まれてきた近代ヤクザのひとつにほかならない。
    又次郎は若い頃、軍人になることを諦めとび職人になることを決意した証に、全身に入れ墨を彫っていた。明治41年(1908年)衆議院議員に当選、浜口雄幸内閣、第2次若槻禮次郎内閣で逓信大臣を務めた。
    鮫島家(鹿児島県南さつま市、旧加世田市)
    父小泉純也は鹿児島県川辺郡東加世田村(のち加世田市、現南さつま市)の漁業鮫島家に生まれた。父親の彌三左衛門(やざえもん)は事業に失敗し、地元の鰹節(かつおぶし)工場に雇われていたが、純也が11歳の時に亡くなった。母親が三男六女を育てたが、家が貧(まづ)しく純也のきょうだいのうち3人が亡くなっている[52]。純也は昭和12年(1937年)衆議院議員に当選、第3次池田勇人内閣、第1次佐藤榮作内閣で防衛庁長官を務めた。
    小泉家について、別冊宝島『知られざる日本の特権階級』38頁によると、「3代続く政治家の家系といってもそれは“名門”とまではいえず、小泉純一郎も、福田赳夫の書生をするなどしていた時代には、まさか康夫より早く総理に就任するなどとは思ってもみなかったであろう。…総理を出してなお、小泉家を“名家”とはいいがたい。これは他の一族とは異なる小泉家の持ち味なのだろう。」という。

    神一行著『閨閥 改訂新版 特権階級の盛衰の系譜』236 – 237頁によると、「さてその小泉の閨閥であるが名門といわれるほどのものではない。むしろ小泉の性格は三代続く政治家家系の血筋とみてよい。」という。

        
                ┏━泰道三八
          泰道照山━━┫
                ┗━宮本志計子━━━佳代子
                           ┃
                           ┣━━━━━┳━小泉孝太郎
                           ┃     ┃
                 (鮫島)    ┏━小泉純一郎 ┣━小泉進次郎
                  小泉純也   ┃       ┃
                   ┃     ┃       ┗━三男(宮本氏)
                   ┃     ┣女
                   ┃     ┃
                   ┃     ┃
                   ┣━━━━━╋女
          (綾部)     ┃     ┃┃
            ナオ     ┃     ┃豊島格
             ┃     ┃     ┃
          ┏小泉又次郎   ┃     ┣信子
          ┃  *━━━━芳江     ┃
          ┃ 石川ハツ         ┣女
    小泉由兵衛━┫  ┃           ┃
          ┃ 山口忠蔵         ┃
          ┃              ┗━小泉正也          
          ┗小泉岩吉             ┃
                            ┃
         ┏━石田重蔵━━━━石田吉之輔━━━美枝子
         ┃
         ┗━石田光治━━━━典子
                   ┣━━━━━┳━石原伸晃
                 ┏━石原慎太郎 ┣━石原良純
                 ┗━石原裕次郎 ┣━石原宏高
                         ┗━石原延啓

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